長年話題になっていた、袴田事件が冤罪だったというニュースに、衝撃を受けた方も多いのではないでしょうか?
冤罪によって、人生を大きく左右されてしまった袴田さんの他に、もう一人の人物にも大きな注目が集まっているようです。
その人物は「紅林麻雄」という人物です。
紅林麻雄は、過去の数々の”冤罪事件”に関与されたとしている人物で、袴田事件との関連性にも注目が集まっているようです。
そこで、この記事ではそんな紅林麻雄がなぜ多くの冤罪事件に関与しているのかを中心に詳しく紹介していきます。
紅林麻雄は拷問王として知られる刑事
まず、紅林麻雄の簡単なプロフィールを紹介していきます。
名前:紅林麻雄(くればやし あさお)
愛称:拷問王・冤罪王
出身:静岡県藤枝市
職業:元警察官・元刑事
生涯:1908年(明治41年)〜1963年(昭和38年)55歳没
拷問王・冤罪王なんて不気味な愛称が付けられている人物なんですね!
紅林麻雄は数々の冤罪事件に関与
紅林麻雄は”冤罪王”の名の通り、数々の冤罪事件に関与してきたとされています。
- 幸浦事件
- 小島事件
- 二俣事件
- 島田事件
全ての事件で、紅林麻雄は無実の人から”拷問”などで自白を引き出して、証拠を捏造して死刑や無期懲役の判決まで持っていきました。
その後、冤罪が認められ無実となっていますが、当事者たちの人生には大きな影響が出たことでしょう。
無実の人に、拷問して自白させるなんて・・・酷すぎる!
紅林麻雄が数々の冤罪事件に関与した理由3選!
紅林麻雄は、なぜ数々の冤罪事件に関与したのでしょうか?
その主な理由は3つあります。
- 拷問王と呼ばれる程!強引な捜査手法
- 出世のため!?証拠の捏造!
- 日本警察の負の遺産!組織的な問題!
タイトルだけ見ても、憤りを感じる内容ですね・・・。
それでは順番に解説していきます。
理由①:拷問王と呼ばれる程!強引な捜査手法!
先ほどから紅林麻雄は”拷問王”の愛称の通り、取り調べする際に拷問を行って自白させる捜査手法を取っていたようです。
なんで、拷問までして自白させるのかな?
しかも、その自白は無実の人たちに拷問をして、無理やり自白をさせていたようです。
背景には”成果主義”的な姿勢があったことが原因と言われています。
事件の真相解明をするよりも、犯人を作り出す方が手っ取り早く仕事の成果を挙げられると言った、とんでもない考えがあったと思われます。
そのせいで、冤罪をかけられた人の人生はぐちゃぐちゃになるんですけどね・・・。
理由②:出世のため!?証拠の捏造!
紅林麻雄は、拷問による自白だけでなく証拠の捏造も常習的に行なっていたとされています。
自分の先入観や考えに合わせて、供述調書などを捏造するなど、ありもしない証拠をでっち上げていたようです。
どうしてそこまで!?冤罪をかけたい人に恨みでもあったのかな?
そこまでする理由に、先述にもあったように当時の成果報酬的な姿勢が原因として挙げられます。
仕事をこなした方が評価にもつながるので、真相解明よりも無実の人を犯人に仕立て上げて逮捕した方が、自身の出世にもつながるという考えだったことが推測されます。
なんて身勝手な考えなのでしょうか・・・。
理由③:日本警察の負の遺産!組織的な問題!
この紅林麻雄さんの”手っ取り早く犯人を作り上げる”という考えを、共に働く同僚や部下たちも当たり前のように認識していた、組織的な問題も理由の一つに挙げられます。
少しでも注意する人がいれば、苦しむ人が減っていたのでは?
当時の日本は、現在よりも年功序列の色が濃く、上司に文句なんて言えない風潮があったのかもしれませんね。
当時の警察は目の前で繰り広げられる、拷問などの背景が常習的に行われていて、許容されていた組織的に問題があったとされています。
のちに続きますが、この組織的な問題が、今回話題になっている袴田事件へと繋がっていきます。
袴田事件に直接関与してないが、影響は与えている!
この冤罪王である紅林麻雄と、今回話題になっている袴田事件に直接的な関係性はないようです。
なぜかというと、紅林麻雄が死去したのが1963年で、袴田事件が起きたのが1966年なので、紅林麻雄はもう存在していません。
ではどうして、紅林麻雄は袴田事件が話題になると、名前が出てくるの?
その理由は、先ほど理由③で紹介した”組織的な問題”があったことが関係しています。
紅林麻雄は静岡県で主に職務に就いていましたが、袴田事件も同じ静岡県で起きた事件です。
つまり、紅林麻雄の息のかかった後輩たちが、取り調べていたことになります。
紅林麻雄の拷問尋問や証拠改ざんを日常的に見てきた後輩たちと、それを黙認する静岡県警の環境が、今回の袴田事件で同じことが起きてしまったとされています。
つまり、紅林麻雄は亡くなってなお、間接的に冤罪事件に関与している可能性が高いということですね!
批判へのストレス!?最期は脳出血で死去!
紅林麻雄が担当した数々の事件の冤罪が発覚して、世間からも警察内部からも大きな批判にさらされます。
次々に有罪とされていた事件が、逆転無罪になったことで紅林麻雄の操作方法に問題があったとされ、地位の剥奪なども経験しています。
そんな中、55歳の時に「気力が尽きた」として警察を退職するも、約3ヶ月後に”脳出血”により亡くなりました。
内部・外部からの批判に、憔悴していたことがわかっています。
多くの人に恨まれていたことから、死亡理由に関しては数々の陰謀論も上がっているようですね。
まとめ
この記事では、袴田事件に注目が集まると同時に、話題になっている紅林麻雄という人物について紹介してきました。
紅林麻雄は、”拷問王”や”冤罪王”といった愛称で、数々の違法捜査のもと、無実の人を有罪とする冤罪に関与してきた人物です。
その背景には、自身の出世や警察の組織がらみの問題があったとされています。
話題になっている袴田事件は、紅林麻雄の没後の事件で、直接関与していませんが、違法捜査が常習していた警察組織の環境を作り上げた人物として、間接的に関与していると言えそうです。
いかがでしたか?最後までご覧くださいありがとうございました!